瀬尾の世の中浪漫紀行

瀬尾の恥ずかしい駄文をくすくす皆様が覗くBlog

アダルトビデオと少年と秩序と法

地元に存命していたアダルトビデオショップが閉店した。

また店がひとつ死んだ。行こう、ここも時期ネットに飲まれる

今や店頭に赴かなくてもアダルト動画はネットで見ることができる。

自分の本棚にカバーを裏返して並べなくても DMMの本棚に入れて鍵をかけてしまえば誰にも見つからない。

趣を忘れた少年たちの性的嗜好亜音速の速さで成長し、道を外れてしまう、、、

あの頃のビデオショップの暖簾の向こう側には暗黙の秩序と法があった。 それは誰かが決めた決まり事ではなく 皆が守らねばならないと確かに心に留めていた。故に法と呼ぶ。

確かに18歳以下は暖簾をくぐってはいけない しかし僕達は容認されていた。それは秩序と法によってだ。

少しの罪の意識と少しの恥辱と少しのお金を払い僕らは借りていたんだ。

一般DVDでアダルトDVDをサンドイッチしてレジに持って行ったあの記憶

『兄貴、俺にこんなDVD借りさせに行かせんなよなーあーめんどくせー』 というあまりにも大きすぎる独り言。もちろん兄はいない

返済日が書かれているレシートは出入り口のゴミ箱にかなぐり捨てた。

たとえどんなに旧知の間柄であっても暖簾の向こう側で出会えば言葉を交わすことはしない。

まるで闇市で出会った商人の如く。自分の性的嗜好とのみ相談しながら作品を吟味した。

暖簾の向こう側は世界から隔絶された たった独りの空間だった。

違法行為ではあるが少年から大人への階段を登り始めるそれはいわばのひとつであり、ある意味正しい形だったのだと僕は思う。

しかし今の少年達はどうだろう。 ネットさえ繋がればAVを探して見つける事など夏休みの宿題を終わらせる事よりも簡単だ。

あの頃に当てはめて言うならば、罪の意識もなく恥辱もなく堂々と暖簾をくぐりAVをレジに持っていく。

あの頃の秩序と法、もとい店員がそんな横暴な少年にAVを借りさせるわけがない。

そんな禊をしてこなかった事が現在の歪んだ性犯罪の原因の一つであると僕は思う。

などと解体されるアダルトビデオショップのテナントの古ぼけた看板に昔日の残照を感じながら僕は物思いにふけっていた。

ありがとう。僕はあの頃の禊のお陰でわりとまともな大人になれた気がします

少年がAVと出会うのは容易であってはならない。必ず何か対価を払わなければならない。それは親が払うネット料金や携帯電話料金決済ではなく

罪悪感や恥ずかしさなのだ。