瀬尾の世の中浪漫紀行

瀬尾の恥ずかしい駄文をくすくす皆様が覗くBlog

『ザ・ライト』君が見たかったのは緑のゲロか

こんにちは瀬尾です

ブログ更新が途絶えている間に25歳になりました。

まさに25歳になったタイミングでかねてより視聴欲が七つの大罪レベルに高騰していた

『ザ・ライト』ようやく見ました。

もちろんAmazonVideoでね

『ザ・ライト』の感想を述べるに当たって

僕とアンソニーホプキンスとの出会いについて語らなければならないのは必定である。

それは25年という瀬尾サーガの中で唯一恐怖と尊敬が同居している俳優がアンソニーホプキンスその人であるからだ。

まだ下の毛も生え揃わぬ頃

瀬尾という少年は映画の虜になっていた。

スクリーンの向こう側へと意識を飛ばして

約2時間という短くも長い空想旅行にふけっていた時期である。

そのころはまだまだ子供であったので

見る映画で恐怖を感じるといえば

せいぜい暴力か幽霊の類であった。

しかしレッドドラゴンは瀬尾に新たな恐怖を植え付けることになった。

その映画はハンニバルレクター博士サイコサスペンスホラー(どんなカテゴリやねん)

羊たちの沈黙を皮切りに始まったシリーズの前日譚にあたる作品だった。

猟奇的殺人の犯人をプロファイリングによって追い詰めて行く為に主人公はかつて捕まえた

猟奇的殺人犯ハンニバルレクターに教えを請いに行くという本筋。

トーリーにおいて一番の悪はハンニバルレクターであり。謎を解き明かすキーマンもハンニバルレクターである。

およそ少年瀬尾には難解な映画だったことだろうが

モラルもへったくれもない猟奇的殺人という

異質な行動は初めて『人間こわい』と瀬尾に思わせるにはうってつけの映画だった。

そんなサイコ野郎ハンニバルレクターを怪演したのがアンソニーホプキンス氏だったのだ。

レッドドラゴンを見終えた後に感じたのは

今までに無い恐怖と今までに無い感動だった。

是非視聴して欲しい。

鎖付きの体育館でレクター博士ガシャーンってなるシーンはビクつくこと間違いない。

さて話は戻りまして

そんなアンソニーホプキンス氏が出ている

『ザ・ライト』彼だけが理由で見たかったわけではない。

エクソシストを題材にした映画だったからでもあるのだ。

エクソシストと検索すればすぐわかるが

その職業よりも先にヒットするのは

映画エクソシストである。

瀬尾が子供の頃の最大の恐怖の対象であった映画で、恐怖と戦いながら初めて一人で見え終えた作品であり、瀬尾史に残る逸品。

グロテスクホラーの金字塔であるこの作品は

悪魔に憑依された少女をエクソシストが悪魔祓いで戦う話だが

正直エクソシスト云々よりも

悪魔に憑依された少女のグロテスク過ぎる表現の方がメインデッシュになっている。

頭が180度回ったり

血を吐き散らかしたり

この世のものとは思えない声を出したり

肉弾戦を持ちかけて来たり

緑色のゲロを吐いたり

まぁ海外ホラー作品って言ったら

A級B級問わず、ヤッベェ奴ぶっ殺してハッピーエンドになるが基本構造なので

エクソシストもそれに漏れない作品だったと言える。

※結果的に見習いだったカラス神父が自分に憑依させて二階から飛び降りて自分ごと葬るとかいうラストなので

しかし『ザ・ライト』はそんなグロテスク&ハッピーキラーチェーンソー****(意味無し)な話ではなく

エクソシストという本当に存在する職業の

実際の姿を描いている作品と言えた。

緑のゲロは誰も吐かないのである。

ようやく本編の感想行くよ!

1から10までストーリーを書き起こしながら感想を書いていたのでは

本気でこのブログを読んでいる奇特な方々に申し訳が立たないもとい見て欲しいとか言っといて見る気を削いでしまう恐れがある為

割愛しながら

死化粧を生業とする家に生まれ育ったマイケルは

家柄に従い大学は神学部へと進む。

将来への夢もなりたいものも無かったマイケルは自分の人生に疑問を感じていた。

しかしながら成績は優秀であり

立派な神父になれるであろうと太鼓判を先生達からも押される。

やはり神父は自分のやりたいことでは無かったので

マイケルは大学を辞めることを決意する。

彼には夢どころか神の信仰心さえも持っていなかったのだ。

そんな中、少女の交通事故に遭遇してしまう。

なんとか助けようと救急車を急いで呼ぶマイケルに少女はこう言う

『祈りの言葉をお願いします。神父さま。』

マイケルにはその少女の命を救う術はなかったが

少女の願いである祈りを捧げることは出来た。

なんの科学的根拠もない救いをマイケルは全うしてしまったのである。

全うしてしまったと表現したのは

きっとマイケルは望んでいなかったと思ったから。

神様なんていないとマイケルは思っていたし

この少女を救うには今すぐ医者が必要だとマイケルもわかっていたからである。

しかしマイケルは少女の願いを叶えてしまった。

これによってマイケルはさらに信仰心を失ったのだと僕は感じた。

ことの一部始終を見ていた先生はマイケルに神父にならないなら奨学金は返してもらう

迷いがあるならばバチカンに行かないか?と尋ねる。

そう。エクソシスト養成講義を受けさせる為にである。

エクソシストの講義の様子は大学の大箱授業のような感じで

本当にありそう(もしくは本当にあるのだと思う)

神の存在への猜疑心とそれでも神にすがる人々に揉まれながら

マイケルはベテランのエクソシストの元へと向かう。

そのエクソシストこそがアンソニーホプキンス演じるルーカス神父である。

ルーカス神父との邂逅で彼がマイケルに

『緑のゲロを吐くとでもおもったかね?』

と問いかけた。

あるいはその方がマイケルは悪魔の存在詰まる所の神の存在を確かに出来たかもしれない

しかし首が回るのも天井に張り付くのも

全ては空想物語のなのだ。

なんて言いながら超常現象は結構表現されてるので『これはなくてもよかったんじゃねぇの?』って感じましたが

わかりやすさと言う意味で折り合いをつけました。

ルーカス神父の悪魔祓いをみてもやはりマイケルはエクソシストよりも精神科医が必要であると考えます。

なんやかんや

マイケルも悪魔にかどわかされたり

ルーカス神父が悪魔に取り憑かれたりして

マイケルがルーカス神父の悪魔祓いをすることになるんですが

結局は科学では証明できない超常現象のまえに

マイケル『悪魔を信じる、ゆえに神を信じる』

となるのです。(恐るべき割愛加減)

見事ルーカス神父に取り付いた悪魔を追い払い

ルーカス神父の元を去ってエンドロール

実際の神父の話です。二人は今でも悪魔祓いを続けています、、、、と言う終わり方。

副題がエクソシストの真実と銘打たれていたくらいですから

ドキュメンタリー的な展開を予想していたのですが

結局は映画エクソシストと根本は何も変わっていませんでした。

マイケルが信仰を取り戻す理由も恐怖からですし(正確には存在していたと気付いた恐怖にに立ち向かう為)

例えば悪魔祓いの最中に電話がかかってきて

『今は出れないんだ!あとにしてくれ!』

ってそれがエクソシストの真実なのかよ!

最初イメージしていた映画像から少し離れてしまった作品でした。

大衆向けならもっと緑のゲロい(ホラーにおけるアクションの意)多いべきですし

真実のエクソシストを追い求めるドキュメンタリー的な玄人向けなら他に描くシーンがあったはずだと思います。

どっちつかずな感じで終わってしまった映画ですが

終わってから思ったのは

僕が見たかったのは緑のゲロかもしれない

でした。

とはいえアンソニーホプキンス氏の演技が好きな方は是非視聴してください

悪魔に取り憑かれた時の演技は必見です。